ヤクザものシリーズ・お礼用SS
(霧島組のけが人・前編)



珍しく仕事が早く終わり、中里との約束よりも随分と早い時間に病院を出る事が出来た湯沢は、送迎の車で彼の元へ向かっていた。

現在彼が居るというのは霧島組の本部らしく、ヤクザの本部になど行きたくはないのだが、行き先を告げられた時には車に乗り込んだ後だった為に逃げられなかったのである。

信号で停車する間も殆どなく、もちろん渋滞に巻き込まれる隙などないまま車は走ってゆき、都心部に構えるそのビルへと到着した。

霧島第一ビル、ここに来るのは初めてだ。

湯沢は案内されるがままに、地下駐車場からエレベーターを上った。

「先生、こちらでお待ちください」

「あ、はい」

一階のロビーにある応接スペースを更にパーテーションで区切られた一角に湯沢は納められた。

仕切りの前には屈強な男が立ちふさがり警護も万全である。

「早く学さん来ないかな・・」

上等なソファーに腰を沈めてもそわそわと落ち着かない。

いくらここが彼のテリトリーそれも本拠地だと言われても、湯沢にしてみれば知らないヤクザがワラワラする場所だ。

中里は平気でも他のヤクザは怖いし、出来るならば関わりたくない。

だというのに唯一の心の頼りであった湯沢の送迎をしている男は、中里への報告の為か湯沢をここに残すと姿を消していた。

パーテーションで区切られた個室に一人きり、外部の音だけが聞えてくるという状況は余計に不安が強くなる。

じっとしていられなくなった湯沢は、怖いもの見たさもありそこからと顔を覗かせた。

もしかすると顔見知りの人が居るかも知れない。

遠藤や谷は中里の側近だというからこんな場所をうろうろしてはいないだろうか。

そうでなくても他にも数名は組員を知っているから、彼らでも側に居てくれれば心強い。

『少しだけ』と内心呟きながら、まるで最新鋭のモダンなオフィスビルのフロントのようなそこを見ていると、周囲の洒落た雰囲気とは似つかわしくない光景が目に飛び込んできた。

「くっそっ・・・あのカスッ、ぜってー殺してやる」

「トシ、静かにしとけよ」

フロントの一角、派手なシャツを着た黒髪の男が、派手なシャツを鮮血に染める男の肩を抱いていたのである。

彼を見た瞬間、湯沢はパーテーションから出て行こうとしたのだが、門番よろしく構える男の腕により遮られてしまった。

「先生、組長のいいつけです。中に居てください」

「・・・でも」

「うちには専属医がいますから」

他に医者が居るならばそれでよい。

渋々同意を示しはしたが、湯沢は血に塗れた彼から視線を離せず眺めていた。

そうこうしていると、見たことはないが明らかに前の二人よりも威圧感も風格もある人物が呆れた様子で現れた。

「おい、どうした?派手にやられてんじゃねぇか」

「・・・・あ、須原さん。お疲れ様です。それが、トシが手ぇ出した女がたまたま土家組の支部長のコレだったらしくて。通りすがりにブスッと・・・」

「あいつ、ぜってー殺してやる。くそ、痛てぇ・・」

「お前が悪いんだっつーの。須原さん、医者呼んでくれませんか?」

「それがよ今、神崎先生捕まらねぇらしいんだ。そんな傷、我慢しとけ」

「無理っすよ。マジ痛ぇんすから」

悲壮な声を上げる男は、口調こそ気丈だがその面持ちは真っ青である。

それもそうだろう、周囲の人間が何故驚かないのかと逆に驚いてしまう程、彼の腹部は血に塗れているのだ。

我慢のレベルを容易に越えてると、外科医でなくとも気がつくだろう。

医者が捕まらない、と聞えるなり湯沢はガードの男の腕を払いのけパーテーションを飛び出していた。

後ろでガードの男が何やら言っているようだったが気にもならない。

「俺、医者です、外科医です。応急措置だけでも出来ますから、患部を見せてください」

「・・・え?」

「・・・誰?」

「・・・湯沢、先生、ですか?」

駆け寄ると、そこに居た三人は───否、それだけではなく周囲の全ての人間の視線が湯沢へと集まった。

今まで血まみれの男に視線の一つも向けなかったというのになんという事だ。

ヤクザの事務所に見るからにカタギの人間が現れたからだろうか。

その変化に驚きたじたじとしながらも、湯沢は男の腹部を見る為に血に濡れたシャツを捲ろうとした。

「見せてもらっていいですか?失礼します」

自身が、というよりも中里に与えられた身の丈に合っていないスーツが血液で汚れてしまうというのも気に留めずそこに触れたが、同時に湯沢の手首は別の手により食い止められた。

「亮太、何やってんだ。行くぞ」

振り返った先には、周囲を圧倒させる雰囲気を滾らせる中里である。

派手な服装の男二人も、風格があると感じていた男でさえも、中里の前ではまるで無力だ。

その上今の彼は至極機嫌が悪いようで、眉間に深々と皺が寄せられている。

けれどそんな事を気にしている暇はないのだと、湯沢は中里に縋った。

「学さん、待って。この人の治療したいです」

「必要ねぇ。ンな事より飯、食いに行くぞ」

「必要無い事ないです。このまま出血し続けたらこの人死んじゃいますよ?そうじゃなくてもこのまま放っておける筈がない」

「そうか、そうか。それだけ解りゃぁ十分だ。安静にしとけだとよ。さ、亮太、行くぞ」

「それだけじゃ、ないですって」

腕を掴んだまま引きずられそうになるところを、湯沢は懇親の力を込めて踏みとどまった。

けれど中里と湯沢の力の差は歴然であり、少しでも力を抜けばまぬけにも床を転がってしまいそうである。

「学さん。ちょっとだけ、30分、無理だったら15分でもいいから、お願いします」

「ダメだ。ンな問題じゃねぇんだよ」

ならば何が問題だというのだ。

引っ張られる腕に痛みを感じた始めた頃、苦痛に顔を歪める湯沢に気がついたのか、中里の腕の力が弱まった。

それでも腕を放してはくれず、極上に機嫌が悪いのだとありありと伝わってくる表情で睨みつけてくる。

大抵の人間ならばすぐさま逃げ出したくなるだろう状況に、湯沢は臆することなく空いている手で中里の腕に縋った。

「学ぶさん、お願い」

「ダメだつってるだろ」

「俺は医者です。こんな大怪我している人を放っておくなんて出来ません。だからお願いです。手当て、させてください」

他に懇願の方法も思いつかず、ただただ真摯な視線を向けた。

そうしている間も傷を負った彼は苦しんでいるのだ。

暫く見詰め合った後に、中里は盛大なため息と共に湯沢を開放した。

「しゃぁねぇな。ただし条件だ。手当ては15分。それから俺の言うことを一つ聞け」

「・・・いいんですか?ありがとうございます。ありがとうございます。学さん大好き」

最後の一言は勢い余って口にしてしまったに過ぎない。

その時彼がどんな顔をしていたか、湯沢には見えていなかった。

中里の言う『言うこと』というのは少し恐ろしい気もするが、過剰な無茶や辛い事ではないだろう。

それよりも今は怪我人が気になって仕方がないのだ。

「遠藤、医務室に連れて行ってやれ」

「はい。先生、こちらへ」

「医務室なんてあるんですか?あ、患者さんは・・・」

「トシは俺が連れて行くんで大丈夫っす」

「お願いします。出来るだけ振動与えないように」

中里と、彼の側近二人の視線は今日もとても痛い。

湯沢を促す遠藤はといえば、中里本人よりも恐ろしい目つきであるくらいだ。

そんな彼を先頭に、ぞろぞろと皆を引き連れ医務室があるという階までエレベーターを上ったのであった。



+目次+