ストーカー編・15



何が起こっているのか、理解が追いつかない。

けれど本能が警告音を発したかのように、幸田は咄嗟に走り出した。

「待てっ」

「恭一さん、こっち!」

「っはぁっ・・・・」

男の手が幸田の腕を掠める。

幸い掴まれる事無く振り払えたが、ワイシャツ越しに触れられた感覚が恐ろしかった。

捕まってはならない、何をされるか解ったものではない。

前のめりで足が絡まりそうになりながらも、幸田は必死に己を呼ぶ室町へ向かう。

彼もまた何故ここに居るのかは解らないが、三城の友人であるという事から無条件に信用が出来た。

たった数メートルがとても長い距離に感じられた頃、幸田と入れ違うように室町が男に向かい走り出した。

「室町さん!?」

何故わざわざナイフを持つ男の所へ行くのだ。

思わず立ち止り振り返ったが、その時には幸田を追って来ていた男に追いついた室町が奴の前に立ちはだかって居るところであった。

室町の手刀が男のナイフを叩き落す。

男が小さなうめき声を上げている間に、室町はボディーブローを与えその身体を崩していた。

圧倒的な体術の差。

あっという間に男から自由を奪い取り押さえた室町は、息を荒げる事もなく幸田に向けニッと笑って見せた。

「危ない所でしたね」

「いえ、あの、ありがとう、ございます」

「いえ、これでも一応警察の人間なんで。と、言っても今日は非番なんで手錠とか持ってないんですけどね。だから、ちょっと失礼します」

言うと、室町は男を悠々押さえ付けたまま、携帯を取り出すと電話を掛け始めた。

「───室町だ。銃刀法違反で男を一人逮捕したんだけど、──そう、非番なんだよ──引き取りに来てくれるか?───あぁ、助かる──すまん───解ってるって───それで・・・」

部下か誰かを呼んでいるのだろう、室町が電話の相手にここの住所を告げているのを耳にしながら、幸田はそろそろと二人の元に歩んだ。

何をしようと思ってはいないが、ただ突っ立っている訳にもいかない。

このまま何事も無かったように帰れる筈も無く、室町に礼を言う必要もある。

室町に地面で組み敷かれている格好の男は、幸田が近づくのを見ると大声で叫んだ。

その声は低く地に轟くようで、室町の通話する声とはまるで別物に駐車場に響いた。

「くっ・・・警察を呼んでたのか・・・それともこいつも先生の男なのか?」

「・・・」

室町は幸田の男───恋人ではないし、警察の人間ではあるが幸田が呼んだ訳ではない。

そんな事をするのは当然の事ながら一人しか思いつかず、三城は幸田との約束を守らなかったという事になる。

だが、それを親切丁寧に教えてやる義理はなく、幸田は答えてやらないまま手の届かない距離で立ち止った。

いくら室町が油断なく押さえ込んでいるとはいえ、近づき過ぎるなど挑発に取られかねない真似はしたくはない。

改めて男の顔を見たが、それでもはっきりと誰であるかは解らなかった。

なんとなく見覚えがあるような無いような、そんな感じだ。

「毎日、写真を送ってたのは、あなた、ですか?」

「あぁ、そうだ・・・僕だよ」

「どうしてあんな・・・」

「僕の事を、思い出させてあげようとしたんだ。毎日見てたのに、挨拶も交わしてたのに、なのに先生は僕に黙って居なくなるし、その上僕の知らない男と同居して・・・」

いかにも恨みがましげな男の目にゾッとする。

それはあたかも幸田が悪いと言わんばかりで、告げられている言動もあてつけがましい。

けれど幸田にはやはり覚えのない事だ。

加えて、男が幸田を「先生」と呼ぶのにも違和感を覚えた。

無精ひげが生えている為正確な年齢はわからないものの、到底高校生に見えない事から高校の生徒だとは考えられない。

ならば、残るは予備校か。

「もしかして、予備校の生徒?でも・・・」

「何とぼけてんの?当たり前だろ?毎日会ってたじゃないか。そりゃぁ受け持ちじゃなかったけど、僕は毎日先生に話しかけていたし、先生も応えてくれてた。それに自習室では僕に優しく丁寧に教えてもくれたし、それにっ・・・」

「それだけ、恭一さんはお前に興味なかったって事だ。もうそれぐらいにしとけ。じゃねぇと自分の傷を深めるだけだと思うぞ」

「・・・・」

通話を終えたらしい室町は携帯をポケットに収め代わりに煙草を一本手にしながら言った。

どうでもよさそうな口調で、煙草を口に咥えると片手で着火する。

エリートのキャリア警視だと聞いているが、この姿だけをみれば到底そうは感じられない。

そんな室町の言葉などこの男には届かなかったようで、一瞬口を閉ざしたかと思ったものの、往生際悪く身を捩り言い募った。

「先生が入院してる時も、僕毎日病院まで行ってたんだよ?それなのにこんな男が良い訳?一緒に住んでる男もさ。ちょっと良い顔と金持ってるだけじゃん。毎日帰りも遅くて。それより僕の方がずっと先生のこと想ってるよ。ずっと一緒に居てあげる。寂しい想いなんてさせないし、送り迎えだってしてあげるよ。それに・・・」

いっそ楽しげな雰囲気で話す狂気じみた男が恐ろしい。

下手に刺激をしてはならないと思えば、幸田は何も言えずただ唇が震えるばかりだった。

予備校の生徒だったと言われても、高校一年生から浪人生まで居る上に4年勤めていたので、受け持ちの生徒でなければ顔も名前も知らない可能性など大いにありえる。

手の空いた教師は自習室に入り担当の教科ならば学年問わず教えるのも勤めの一つだった為に教えたかも知れないが、男に悪いが彼個人など記憶に残っていない。

それをこの男は、自分を特別とでも思ったのだろうか。

不意に三城に言われた「八方美人過ぎる」という言葉が脳裏を過ぎる。

「・・・」

「俺は関係ねぇって。ただの警察さん。それに、春海が持ってんのはそれだけじゃないだろ。浪人何年も続けてるお前と違って、現役首席で東大は入れるだけの頭と、恭一さんにアプローチする度胸もお前以上だと思うぞ。まぁ、あの性格の悪さもお前以上だろうけどな」

「・・・・くそっ・・・馬鹿にしやがって・・・」

「あっ・・・あの・・・」

「お、お迎えが来たぞ。後は署で話せ。あんまりお前が身勝手な事話すと、恭一さんが可哀相だ」

ようやく幸田が唇を開いたが何を言うよりも早く、まるで言葉を遮るように室町が口にした。

彼の視線の先、地下に降りる駐車場の入り口からエンジン音が聞こえてきたかと思うと、白い車が三人に向かって走って来たのだった。



 
*目次*