ストーカー編・20



今日もいつもの場所に赤い車が停車している。

校舎の窓からぼんやりと職員専用の駐車場を眺めていた宍戸は、近づく足音に振り返った。

「幸田先生、おはよー」

足音からして予測はついていたが、そこに居たのはたった今しがた脳裏に思い浮かべていた人、あの赤い車の所有者であり数学の担当教師・幸田である。

いつもと変わらぬ、清清しさの中にどこかひっそりとした雰囲気の幸田は、宍戸を見やるとほっそりと瞳を眇めた。

「おはよう。昨日は悪かったな」

「別にもう良いって」

「犯人、捕まったから」

「え・・・?え、あ、良かったじゃん。あんな写真、気持ちわりぃもんね」

「うん。それだけ、一応報告しておこうと思って。迷惑掛けたからな」

「・・・」

気にしていないと言っているのに、幸田は昨日から何度も同じ事で謝罪を口にしている。

今のも、迷惑などと微塵も感じていない事に対してそうと言われるのは、宍戸としては遠い距離を置かれているようで複雑な気分だ。

「後で授業でな」

じゃぁ、と幸田は廊下の向こうへ足早に歩いて行った。

スーツの後ろ姿は、ただそれだけなのに宍戸の視線を離してはくれない。

男子校だから、周りに女の子が居ないから、きっとそんな理由ではなく幸田という人物だからこそ惹かれたのだ。

あの夜、幸田が見知らぬ男と抱き合っているのを見た時、恋人が居ると解った筈だというのにそれよりも幸田は男でも構わないのだという気持ちが先行した。

恋らしい恋も未経験で、果たしてこれが恋愛感情であるかは解らないけれど、それでもただの性欲処理として幸田にお願いを───写真を使って脅したりしたのではない。

そうまでして、誰でもない幸田が欲しいと感じてしまった。

今考えれば馬鹿な行動だと思う。

けれど何よりもショックだったのは、幸田に拒絶をされた事よりも、この想いを彼個人に向けたものだとすら信じて貰えなかった事だろう。

違うのだ、SEXをしたかっただけなのではなく貴方が欲しかったのだと、今更伝える事も出来ない。

「最初っから、告白しておいたら良かったかなぁ」

脅したりせず、ストレートに言ってしまった方がすっきりしたかも知れない。

どちらにせよ、答えは決まっていたのだろうけれど。

「おーい、宍戸ーどうした?もう授業始まるぞー」

「あぁ、今行く。次なんだっけ?」

「現国」

「やっべ、ノート忘れたかも」

クラスメイトの呼びかけに、宍戸は慌てた素振りで教室に戻った。

一応あぁは言いはしたものの、鞄の中を見れば一目で現国のノートが入っていると知れる。

ノートと教材を机に並べ、チャイムが鳴っても直ぐにはやって来ない教師を一番後ろの自席に座り待っていると、隣の教室から幸田の声が薄っすらと聞こえた。

宍戸のクラスは次が数学だ。

「・・・真剣そー」

教壇の彼は、休み時間の彼とどこと無く違う。

彼から教わった、数学や勉強よりも大切な事を、きっと一生忘れないと思う。

教師が来ない事を良い事に喋り続けるクラスメイト達の雑音を耳にしながら、宍戸は目を閉じた。

幸田の相手の顔は知らず終いだったけれど、いつかそいつを色んな意味で越えたい。

曖昧な目標はけれど胸にしっくりと収まり、再び瞼を開けた宍戸の瞳はどこか強い光を宿していた。

聞けば幸田は答えてくれるだろうか、恋人の人となりを。

彼が選んだ人なのだからきっと内面も外見も良いのだろうな、と考えれば宍戸は次に幸田に会うのが楽しみになったのだった。





一時間目が終了し教室を出た途端、幸田は腰に手をやり顔を顰めた。

「春海さんの・・っ」

結局昨日は長い時間身体を離しては貰えなかったのだ。

性交する為に出来ていない部分は、それになんとか耐えたものの今でも動けば辛い。

文句の一つでも言ってやりたいが、どうせ笑顔で心にもない謝罪を口にされるだけだ。

「いつか春海さんも同じ目に合わせてやる」

己にしか聞こえない声で呟いたけれど、とても現実的だとは思えなかった。

何せ幸田自身が「そちら側」の経験もなく、三城が「こちら側」を容易に受け入れるとは考え難いからだ。

口にすればそれだけ己の言葉が馬鹿げていると突きつけられ、幸田は思わず口元を緩めた。

せめてもの仕返しとして、今日は三城の嫌いなメニューを夕飯にしようか。

それくらいしか思いつかなかったが、肝心の三城の嫌いなメニューも思い当たらなくて、更に苦笑が上がった。

結局自分は何一つ三城に敵わないし、それで案外満足している。

「さ、授業行かないと」

チャイムの音が廊下に鳴り響く。

恋人の顔を脳裏から追い出し、幸田は教師の顔を見せたのだった。




【完】



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