麗しき夜叉に乱されて   試し読み [本文より]



真新しいモニターとキーボードにデスク。ようやく見慣れたそれらを前に、暁は手の中の書類を捲った。

「消臭スプレーは……」

改装をされたばかりのフロアにはまだデスクが両手で数えられる数しか並んでいない。

オフホワイトの壁に、薄い暖色系の書類棚。ワークデスクはありふれたアルミ製の物ではなく、オフホワイトと薄い水色で湾曲線を生かしたモダンなデザインだ。

オフィスそのものからも、此処に新しさと期待があると伝えられる。

新年早々に設立されたばかりのEffective部の初期メンバーとして暁が移動を命じられて半月。

部署としての前例がないだけに四苦八苦をしながらも、なんとか仕事に慣れてきたところだ。

この部署はVALORE社の改革として導入された。

職務内容を簡単に言えば、一つの商品に対して商品開発部と営業部と広報部など各部署が動くのに対し、そのパイプラインとなる事だ。

情報を一つに纏め、状況を分析する。そうして業績アップへ繋げるのがEffective部の役割である。

メンバーは若手ばかりで八名。

部長を勤める前山満[まえやま・みつる]は三十代前半だが残りは全員二十代だ。

前山も暁も元営業部で、暁の先輩にあたる人物だ。

営業部はVALORE社の花形とされる部署であるうえに前山はそこで期待をされている存在であった。

他のメンバーも似たようなもので、各部署から数名ずつ有能と名高い若手を集められたのがこのEffective部である。

その一人として選ばれたのは何とも名誉な事だ。

それ故に責任のある立場だと思うが、だからこその遣り甲斐を感じている。

年明け一番に移動を知らされた時は至極驚いたと記憶に新しい。

社内掲示板での事前告知がされていなかったのはもちろん、恋人でありVALORE社の事実上の社長である香坂甲斐[こうさか・かい]からも何も聞かされてはいなかった。

もっとも香坂は、社長とは言えど経営権を持っているだけだと常日頃から言っている為、社内の部署の設立や移動など関与をしていないのだろう。

香坂はVALORE社の社長である。だが、それだけではない。

「美原さん、ちょっと良いですか?」

「あ、はい」

「営業二課なんですけど、これ、どう思います?」

「え、何? ……あぁ」

モニターに向かっていた暁に横から声を掛けた男は、黒いインクだけで表の記された書類を示してみせた。

暁だけではなく、皆が皆新しい部署の職務内容に手探り状態で、助け合いの重要さというものを日々実感していた。

「これで良いと思います。でも念の為部長にもお伺い立てた方が良いんじゃないでしょうか」

「そうですか。分かりました、有難うございます」

渡されていた書類を彼・矢部聡史[やべ・さとし]へと返せば、彼は感じの良い笑みを浮かべた。

部はこの部署で初めて顔を合わせた、暁よりも二歳年下で入社四年目だという。

その為暁が先輩だと言えばそうなのだが、この部署の初期メンバーという意味では対等だ。

「やったら、部長んとこ行ってきます」

会釈を一つ残し矢部は書類を片手にその場を離れてゆく。

僅かの間それを見送った暁は、すぐに元のようにモニターへと視線を戻した。

画面に映し出されたVALORE社の業績はどれもこれも真っ当なものだ。

大阪市内の一等地に高層の自社ビルを抱えるだけあり不景気の最中にしては良い成績だろう。

だが、決してそれだけではない事も暁は知っている。

どこからどう見ても優良企業。

しかしその実体は、関西一円を締める広域暴力団・香坂組若頭の手中にあるフロント企業であった。

 つまるところ社長であり暁の恋人の香坂はヤクザで、そして香坂組の若頭を務める現組長の嫡男である。

暁がそれを知ったのは今から半年ほど前、香坂と交際をして間もなくの頃だ。

その時は香坂がヤクザである事も勤めている会社が暴力団のフロント企業である事にも驚きはしたが、しかし知ってしまった時には何もかもが手遅れだった。

彼と出会い、恋をした。これでもかと愛されてしまえば、もう手放すことなど容易には出来ない。

「……ぁ」

ポケットの中で携帯電話がバイブレーションに震える。

時刻は夕方四時。この時間帯にプライベート用携帯に連絡を入る人物を、暁は一人しか思いつけなかったのだった。