青天を舞う煌めき   試し読み [本文より抜粋]



 予測をしていなかった訳ではない。けれど今にしてみれば、期待の部分が大きかったのだろう。

 馬を走らせる気力もなく、徒歩と変わらない速度で森をゆく。

 シーセルの後も手紙を送っていた知人を数日をかけて訪問したが、皆が皆揃って彼と同じ反応であった。最後の日など、ディーランの訪問目的が伝わって居たのだろう。話をする前から断られる連続であった。

「案を、練り直すしかない」
「ディーラン様」
「必ず成し得る事をしなければ」

 サンエスレンが無理ならば他の国と同盟を結ぶという案もある。しかしサンエスレンでの反応を見る限り、どこへ行っても同じかもしれない。

 つまるところ、やはりディーラン自身の実績を上げるしかないのだ。けれど単に今までと同じ事をしてもトーンシアやディオンに功績を持って行かれる。

 悩みは元に戻り、堂々巡りだ。今のディーランの表立った功績が残されていない中で今までと違う事をしなければならないが、今回のような結果にならない事など今までも散々に頭を悩ませ見出せず、急いで考えてもすぐに見つかるとは思えない。

「……もう無理なのかもしれないな」
「ディーラン様、そんな……」
「いや、単なる独り言だ」

 子供の頃は真面目に勉学に励み、旅をして多くを見て来たつもりだ。けれどそれだけでは駄目だったのだろうか。結局、次男という枷は重すぎて、どうにも出来ないものだったのだろうか。

 自分のして来た事全てに自信がなくなっていく。
 そう考えていた時だ。
 森の木々の中に、影を見た。

「アランド」
 片手を差し出し、隣のアランドを制する。猛獣や盗賊の可能性もある。
 馬に跨がったまま、ゆっくりと木々や草花ではない影へと近づいていく。一歩一歩と近づくと徐々にその形がはっきりと見えてきた。

 どう見てもそれは、人の形をしている。けれど分かるのはそれだけだ。男なのか女なのか、大人か子供かも分からない。

 馬に鞭を入れ走り去る選択肢もあった。しかしどうにもそうし損ねたディーランは慎重に、影が伸びる木の横を通り過ぎようとした。

「……アランド」
「はい」
「あー。あぁー」

 このまま通り過ぎれば良い。何にも関わらなければ、良くも悪くも面倒など起きはしない。特に今は、面倒に合っている気分では無い。
 そう、強く思っているというのに。
 地面から聞こえた、声とも言えない音が、ディーランに手綱を引かせた。

「人……か?」
「ディーラン様」

 アランドが並ぶように止まる。だがその彼を視界の端で確認しただけで、ディーランは馬から下りた。
 周囲から殺気を感じないとはいえ、今が安全とは言い切れない。森の中は、いつなんどき何に襲われるか分らない。

 それでも。
 木陰から声を上げる少年、幹に寄りかかりこちらを見上げるその姿を、無視出来なかった。それは頼りない眼差し故かそれとも、その身体故か。もしくはもっと別の要因であるのか、すぐに判断は出来ない。

「ディーラン様、彼は……まさか、置き去りに?」
「さぁな。だが確かに、この身体なら、自ら歩いてとは考えにくい」

 幹にもたれ掛かるよう座るその少年には、片腕と片足が根元数センチからなかった。

 衣類は汚れきり、みすぼらしい。その薄っぺらい衣類の上からでも、やせ細っているとも知れた。座り込んでいるので正確なところは分らないが、立ち上がっても大方ディーランの胸程度の背丈。ざんばらの髪は黒く、皮と骨だけのような肌は白い。細い面持ちの中で黒い瞳だけはやけに特徴的に主張していた。細い首と柔らかそうな唇に幼い声。よく見れば少年だと分ったが、そうでなければ少女と見間違えそうだ。

 もしこの少年が武器を所有していたところで、襲われる危険性はないだろう。だが、それ故に気が引かれたのかと問われても即答出来そうにない。

 何かに惹きつけられるよう、少年の前で膝をつく。そしてディーランは、その黒い眼差しを覗き込んだ。

「おいお前、何故此処に居る」
「あー……ぁ」
「何故だと聞いている」
「ぁ……あ」

 か細い声で言葉にもならない音を漏らし、首を振る。眉を下げきった面持ちは、とても弱々しかった。

「声が、出ないのでしょうか」
「そのようだな。ならば捨てられても当然だ」

 外観から判断すると年齢は十代半ば。その年齢でその身体、そのうえ着ている物のみすぼらしさから考えると、働きも出来ない穀潰しだったのだろう。この辺りは貧富の差も激しく、貧しい中で一人分の食料の差は大きいと聞く。

 じっと見下ろすディーランに、少年はただ見上げていた。
 面倒な関わり合いなど御免だ。見なかった事にして立ち去れば、明日には少年の事など忘れているだろう。
 きっと、その筈だ。
 けれど立ち上がれずにいるディーランに、少年はそろそろと、片方しかない腕を伸ばした。

「あー、あぁ」
「……触るな」
「あぁああ」
「おい……」

 その、言葉にならない言葉が、何かに聞こえた。「たすけて」と、聞こえてしまったから。
 少年が、弱々しい手つきでディーランのズボンを掴む。蹴り飛ばす事も出来た。そうする方が簡単であるし、子供や弱者であるからという情けは持ち合わせていない。
 だというのに、一瞬躊躇ったものの、ディーランはその手首を掴んだ。想像をしていたよりも細く、力を込めればすぐに折れてしまいそうだった。それを、感じてしまったから。

「アランド、次の村までどれ程だ」
「森を抜ければ直ぐです。お急ぎになられれば一時間とかからないでしょう」
「そうか。急ぐぞ」
「……連れて、行かれるのですか?」
「……あぁ」

 これは、何かに対する反抗だったのかもしれない。何事も上手くいかない自分自身へ、日常とは違う判断をしたかったのかもしれない。自分の事であるというのに、客観的にしか分析出来なかった。

 出会ったばかりの素性もしれない少年。本当に話せないのか確証はなく、彼が盗賊の一味で無いという保証もない。
 けれど、握った手を離せない。
 このような事は何年も旅をした中でも初めてだ。故に、無視が出来なかったのかもしれない。

 手首を掴み返した少年は、きょとんとした眼差しでディーラン達を見ていた。喋れはせずとも言葉は理解出来るのだろう。思えば、何一つ少年に同意を求めていない事を今になって思い出した。

「おいお前。私達と一緒に来るな?」

 他に選択肢は用意をしていなかった。ディーランが連れて行きたいと思った。見つけてしまったし、関わってしまった。緑の木々の中で、少年の髪と瞳の黒さがとても印象的だった。
 だから、手放したくなくなってしまった。ただそれだけだ。
 断言的に言い放ったディーランに、少年は下げていた眉も忘れ不思議げに見つめた。ディーランの後のアランドを眺め、もう一度ディーランへ視線を戻す。

「あっ!」
「来るな?」
「あっあぁっ」

 そして少年は、柔らかくも明るい笑みを浮かべて、何度も繰り返し頷いた。
 少年の脇に腕を差し込み持ち上げる。その身体もまた、想像以上に軽く柔い。

 弱者を助ける趣味がなければ、弱者が弱者として終わっていく事を当然だとすら思っている。だというのに、この少年がここに居る事、捨てられたのだろう事がどうにも面白くない。それがどこから来る感情であるかもまた、経験がない故に分らなかった。

「私の馬に乗せる。異論はないな?」
「えぇ。ディーラン様に異論などありません。ただ――」
「何だ」
「『緑生い茂る中、不完全な身体の女神の願いを叶えた時、貴方の願いも叶うだろう』」
「アランド、それは」
「いえ、少し思い出してしまって。まさか彼が?」

 今の今まで忘れていた記憶が、呼び覚まされる。
 二年前、小村の宿屋の馬小屋。みすぼらしい格好の易者だという老婆。彼女が口にした、その言葉。
 一瞬のうちに、まるで昨日の事のように思い出したそれは、確かに今の状況と酷似している。違うと言えば、少年が男であり、「女神」ではない事くらいだ。

「……馬鹿げている」
「そうですね。申し訳ありません」
「行くぞ」
「はい」

 不安げな眼差しとなった少年を鞍に乗せ、ディーランがその後に跨がる。
 細く折れそうな身体を抱きながら馬の腹を蹴り走らせると、現状の言い訳ばかりを考えていた。