取り調べは白衣を脱いで   試し読み [本文より抜粋]


 カフェでランチをして、映画館で映画を見る。ファッションビルを梯子してウィンドウショッピングを楽しみ、日が暮れた頃予約をしているレストランでディナーを楽しむ。

 テレビドラマや情報番組、それに雑誌や漫画から培った「デート」とはこういった流れだ。実際はその何処までが正しく、または男同士でも可能なのかという問題はこの半月間悩みに悩んだけれど解決される事はなかった。

「あー、めぐちゃん。どこ行きたい?」

「……倉田が、行きたいところが良い」

「そう来るか。だよな、めぐちゃんからリクエストある訳ないよな」

 日曜日の日中。都内繁華街の商業ビルを出て直ぐの場所で、倉田一朋[くらた・かずとも]は真っ直ぐな環の眼差しを見返した。

 身長百八十センチ代の倉田が、目線分身長の低い環を見下ろすと、黒目がちの大きな瞳が印象的でストレートの黒髪が白い頬を縁取っている。首も肩も折れそうに細く、職業柄か日に焼けない身体は黄色人種の中でも白い。

 一方倉田は顎も輪郭も、身体の骨格そのものがガッシリとしており、職業柄外を歩きまわる事が多い為浅黒く日に焼けている。

 一見共通点もなく、むしろ真逆な二人が交際に至って一ヶ月と少し。バレンタインデーも終わり既にホワイトデーの宣伝に力を注ぐ頃、初めてのデートを試みたけれど今現在前途多難である。

 この一ヶ月と少しの間は仕事が忙しかった事もあり、会うのは行きつけの小料理屋・花ぐるまか倉田の家だった。時折第二の行きつけの店となりつつあるファミリーレストランに出向く事もあったけれど、それらは全て夜だ。食事をとるか直接帰宅するか、そして倉田の家で一夜を空かし翌日仕事ならばそれぞれ出勤、休みならば決まって一日中家の中で過ごしていた。

 環曰く、「約束をして出かけるのがデート」と言うのであれば、「デート」は行っているし、それを倉田も否定する訳ではない。だが日中、食事以外の何かを目的として出かけるという意味では、一度もなかった。

 きっかけは、花ぐるまのママであり環の実母・富永弥生[とみなが・やよい]の一言だ。

『貴方達、デートもしていないの?』

 さも驚いた顔をして見せた弥生は冷やかしでも嫌味でもなく本心だったのだろう。そしてその時も隣でグラスを傾けていた環は、何も言わないまま倉田を眺めていた。あれはどう考えても無言のリクエストだ。

 倉田にしても嫌で避けていた訳では決してなく、そんなこんながあり二人の休みの合った今日ある意味においての「初デート」を決行したのだが、残念ながらあまりスマートに事は進んでいない。

「俺の、行きたいところか……あー……別になぁ」

「なら、僕も行かなくて構わない」

「や、でもだったら晩飯まで時間空く」
「帰れば良い」

「帰ったって飯ないだろ」

「花ぐるまに行けば良い」

「今からだったら花ぐるまに行くにも半端だし、それだったら普段と変わらないって」

「駄目なのか?」

「駄目つうか、なんつーか」

 今日一日、この調子だ。

 いきなり慣れない場所へ行くよりも慣れた街の方が良いと判断し、新宿駅前で待ち合わせた。待ち合わせ場所よりも互いの自宅の方が近いし、慣れていると言うなら花ぐるまの店先でも良かったが、駅前の方がデート「らしい」からだ。

「カフェでランチ」はどこへ入って良いのか分からなかったので、目に付いた定食屋に入ったがまずまずの味だった。予定通り映画館で「全米感動」のSF映画を見て、倉田も環もそこそこ楽しんだ。

 だが、そこまでだ。映画を見終えて以降、行き先が決まらず無駄に歩き回っていた。

 ふと街を見渡すと、休日とありそこら中にカップルが溢れている。女が男の腕に絡まり嬉しげな笑みを浮かべ、迷いのない足取りで各々何処かへ向かっているが、一体何処へ行こうとしているのか一人一人聞きたい心境だ。

「難しいもんだなぁ、デートってやつは」

「何だ?」

「いや、何でもない」

 思えば、思春期の頃から同性愛者の自覚があった倉田には異性の恋人が居た試しがないし、たとえ同性であっても「恋人」と呼べる相手は居なかった。

 一夜限りの相手か、そうでなくとも縛りのないセックスフレンド。夜に会い朝が明けるまでに別れるのが、倉田の「デート」だ。

 雰囲気のあるバーならば何件か知っている。だが日中に訪れるに相応しい店というのは、呆れる程思いつかない。

 環に関しては、良く言えば初[うぶ」。悪く言えばうとい為、初めから何も期待をしていない。デートは当然のように初めてだと言うし、自分の食事すら真っ当に選べない環がデートプランを組めると考える方が愚かだ。

「向いてないのかもなぁ」

「何がだ」

「デート。俺らにそんなもん、必要なかったのかもなぁって。いつも通り家籠ってテレビ見るか、ヤってりゃぁ良かったのかも、なんてな」

 新しい物を求めない環にしても、その方が余程気が楽だったかもしれない。弥生の言葉に危機感を感じて今此処に居るが、その動機も不純だ。

「とりあえず、どっかで茶すっか。で、時間見て飯食って早めに帰ろう。そんでベッド行って――」

「きゃぁっ」

「――え?」

 繁華街の真ん中でするには下品過ぎる言葉を続けようとした時だ。

 まるでその倉田の言葉を遮るかのように、轟音が鳴り響いた。ドンとも、ゴンとも、ドゴンとも表せられるその音は、賑わっていた街を一気に騒然と変貌させる。

「わぁっ……」

「何? ……っあれか」

「……倉田」

 音の原因は、探さなくても明確だった。

 大通りの真ん中で、一台の乗用車が道路の真ん中の植え込みに頭から突っ込んでいる。その後方車は、先頭の車のリアのトランクにぶつかる形で停車し、以降二台が玉突きだ。

 突然の出来事に通行人は悲鳴を上げ、交通量の多い道路で急ブレーキが踏まれる。事故現場から後ろに続く車は状況が分からずどこかしこからクラクションが鳴らされ、辺りは騒然とした。

 それを目にした瞬間、倉田は咄嗟に片手で環の腕を掴みながらもう片一方の手でポケットを弄った。

「俺は警察と救急に電話するから、めぐちゃん応急処置してくれ」

「……僕は、法医学者だ」

「分かってるけど、素人より知識あるだろ? 見ろ、凄い事故だ」

「僕は、生きている人間は診ない」

「そんな事言ってる場合じゃないって」

 環の腕を無理に引き、交通の麻痺した車道へ降りると歩道から二車線向こうの事故現場に走った。

 ガソリンの臭いに混じった血の臭い。泣き声と嗚咽と、不安に叫ぶ声が聞こえる。先頭の車はボンネットが見事に潰れ、リアのトランクも衝突された衝撃で形を大きく変えていた。白い車体の王冠のエンブレムは今や輝きを失っている。半分外れた運転席の扉から、ハンドルに伏せて動かない運転手が確認出来た。エアバッグは作動したようだが、打ち所が悪ければそれは意味をなさない場合もある。

 玉突きとなった他の車も、程度は後ろにゆくにつれ弱くはなっているものの車体が歪んでいる。先頭の車のすぐ後ろの軽自動車の運転席から若い女性が降りたが、額や頬に傷を作った彼女はその途端、フラフラとアスファルトの上に倒れ込んだ。

「めぐちゃん、意地張るなよ」

「意地は、張っていない。僕は、法医学者で……」

「分かってるって! けど……。いや、先連絡入れるわ」

 感情のまま倉田は声を張り上げた。八つ当たりだと言われればそうなのかもしれない。だがあまりにも、とりつく島のない環に腹立たしさが募ったのは事実だ。

 環は法医学者で、以前は弥生の流血にパニックになっていたのも知っている。他者の傷にどのような反応を示すのかは知らないが、叶うなら今を助けて欲しかった。

「……、救急車を要請する。――靖国通りで交通事故。負傷者は重軽傷者合わせて――」

 所属は組織犯罪対策課――通称マル暴だと言えど倉田は警察官で、この手の処理はプロである。対応は警察学校仕込みで、必要な情報を順序よく伝えて短く終えた通話を切ると、次いで自身が勤める新宿署に直接連絡を入れた。幸い此処は管轄内だ。

 そうしている間にも、事故車から怪我人が出て来る。野次馬か関係者か、周囲を取り巻く人は入り乱れていた。

「事故の原因は先頭の車が植え込みに衝突した為だと思われます。その理由は分かりません。運転手は――」

 携帯電話を耳に当て、先頭車の天井に手を掛けた。環に気を取られ自分の目で確かめていなかったのは倉田のミスだ。

 無惨に潰れた車内の運転手の生死を確かめようとした。ハンドルに顔をうつ伏せていたので上から見ているだけでは何も分からず、脈を取ろうと手首に触れようとした時だ。

 半分取れ掛けた扉の横で腰を落とした倉田は、そこからようやく見えた顔の一部に、通話中である事も忘れ息を呑んだ。

「こいつ……。先頭の運転手ですが、寺平組[てらひら]若頭の松代守孝[まつだいもりたか]に酷似しています。特徴とされている頬の傷もある為、ほぼ間違いがないと思います」

 プロだと言ってはみたところで、事故の処理も、救急車の要請も非日常だ。しかし、暴力団員を追いかけるにかけては、プロ中のプロだ。

 寺平組のシマは倉田の管轄外であるが、重要人物であれば全国どこの組織の構成員でも顔写真を何度も見ている。この男もまた、写真の中では見知った顔だった。

「……息はあります。救急車が間もなく来ると――はい」

 思いもよらぬ場所での再会に動揺が隠せない。気のない短い返事を重ねて通話を切ると、倉田は携帯電話を握ったまま振り返った。

「めぐちゃん、お願いだって。診てくれよ」

「僕は、診ない」

「だから、危ないんだって、脈が――」

「後五分したら、みる」

「五分? そんな事してたら益々危なくなるだろ」

「だからだ。五分後にはそいつは死んでいる。死体なら、僕はみる」

「そんなもん、分からねぇだろ。めぐちゃん診てもないのに適当な事――」

「そいつからは、生きている人間の気が感じられない。でも死者の静けさもない」

 良くも悪くも表情を変えないまま、環は半分扉の外れた運転席を指さした。

 まるで物の扱いだ。けれど、じっと見上げる環の眼差しを見返した倉田は、開き掛けた唇を何も告げないまま閉ざした。

「……そうかよ」

 その目は知っている。法医学教室で見せる環の、医者の目だ。表情の薄い環は、ただ瞳だけは素直に色を変える。ふざけているのでも、意地を張っているのでもない。医者として、もしくは法医学者として、環は言っているのだろう。ならば易々と言葉を覆さない気がした。

「絶対診ないんだな」

「診ない。死んだらみる」

「死ぬ前提みたいに言うな」

「そいつは死ぬ。今すぐ救急車が来ても、そいつは助からない」

「他の負傷者なら診るか?」

「他の人は、救急車を待っていても問題ない。死者はいないから、僕は何もしない」

「……だったら、邪魔にならないとこに居ろよ。俺は一応警察官さんだからな」
「分かった」

 素直に一つ頷いた環は、その場でじっとした。確かに今誰の邪魔にもなっていない場所だ。

「……とりあえず、課長んとこ連絡入れるか……あ、来たな」

 事故の先頭車の運転手が松代であるのは無視が出来ない。これが単なる事故ならば何も問題はないが、けれどそうでない可能性もある。それだけの後ろ暗さを、この男たちは背負っている。

 遠くに救急車のサイレン音を聞き、事故の負傷者らがバラバラと音を探すよう顔を上げた。そうする一方再び携帯電話を握った倉田の横で、環がふと動いた。その足取りは軽く、まるでアスファルトを踏みしめていないようだ。

「おい、めぐちゃん? なんだ、やっぱり診る気になったのか?」

「あぁ、みる」

 環が、半壊の運転席に足を向ける。コートの袖を捲り腕時計を確かめ顔を上げた。

「午後四時三十七分。死亡を確認」

「……めぐちゃん」

「ほら、五分と持たずに死んだだろ?」

 淡々と、悲しみも憂いも見せずに環は小首を傾げる。松代の首筋を指二本で触れ、長いまつげをしばたかせた。

 風が吹いて流れたその髪は、今日も倉田が一目惚れをした美しい黒さだった。