テンプテーション


もしも生まれ変われるなら、なんて馬鹿げた事を何度となく考えた。

今よりも家族に愛されて、もっと頭も良くて、そして五体満足に生まれられたら幸せだ、と思うのだけれどいつもその妄想の最後には、けれど彼と離れてしまうくらいなら今のままの方がマシではないだろうか、という疑問で締めくくられる。

『啓【けい】が18歳になったら、一緒に暮らそう。』

彼の言葉を、ただひたすらに信じて、僕は生きていた。



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杉山悠里【すぎやま・ゆうり】と中州啓【なかす・けい】の家は隣同士だった。

その上、二人は誕生日も一日違いで生まれた病院も一緒だったが、その後の生活は大きな差が空けられる事となる。

杉山家は裕福な家庭ではあったが子供に恵まれず、遅くに生まれた悠里をそれは可愛がり育てた。

悠里自身もとても才能溢れた子供で、小さい頃から頭もよく運動神経も抜群、容姿も類まれなる美貌を持ち合わせており、正に完璧だった。

誰からも愛されて止まない、そんな言葉がぴったり当てはまる。

一方啓はと言えば、父親が懸命に働き今の高い地位を得た家庭だ。

そして、啓には生まれつき、───両手の手首から先が無かった。

通常手のひらがあるべきそこはただ丸まっているだけである。

そんな啓の扱い方が解らず両親は彼を疎み、すぐに下に出来た妹に愛情の全てを注いだ。

一人では生活をする事すら困難な啓を最低限育てはしてくれたが、いつも満足な程食事を与えてもらえず、風呂や排泄もままならず汚らしかった。

小学校に上がる頃になってもそれは変わらず、学校に通う事も出来なかった啓に唯一優しく接したのが隣に住む悠里である。

両親が自分に甘いのを良い事に頻繁に家に連れ込んでは食事やおやつを与え、綺麗に清潔にとしてくれた。

薄汚れていれば気づかないのかも知れないが、綺麗に整えてやれば啓はそんじょそこらのアイドルなんかに負けないほど可愛らしい。

それを知っているのは悠里だけだろう。

月日は流れたが、その間も二人の生活に劇的な変化など有りはしなかった。

悠里はすくすくと、両親の愛情を一身に受け誰もが見惚れる青年へと成長していた。

鋭い瞳に薄い唇、はっきりとした顎のライン。

そこから伸びる太い首も広い肩や厚い胸板はもちろん、有名私立高校にトップへ入学した頭脳や万能な運動神経などどれを取っても人々から羨まれるものを持っている。

口数の少ない彼の言葉は冷たいものが多かったけれど、それでも男女問わず好意を寄せられた。

だが、悠里がそれに応えるどころか笑みの一つも返した所を見た者は居ないだろう。

彼の甘やかな表情を見られるのは、両親とそして啓だけだ。

啓の生活も相変わらずで、それなりの大きな家に住みながらにして彼の居場所は物置にもされている小部屋だけだった。

栄養失調気味の身体はとても細く脆く、身長も平均よりも低い。

学校に通わせても貰えず働く事も出来なかったので、知能も良くは無かったが、やはり容姿だけは可愛らしいままだ。

そしてそんな生活の中でも人を恨む事の無い心を持ち合わせていたのが、何よりの彼の美徳と言えた。



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一階にある啓の物置の窓を悠里が叩く。

鍵のかけられていないそこを開けるのも悠里で、手にした袋一杯に食料を入れて窓を乗り越えた。

「生きてるか、啓。」

「こんばんわ、悠里くん。学校は終わったの?」

「学校も課題も終わった。家の用事も全部終わらせた。問題はない。遅くなって悪かったな。」

悠里は明かりのつけられていない室内を気にする事も無く、膝を抱き蹲っていた啓の隣に座ると袋の中身を床へばら撒いた。

「何が食いたい?これは新発売だとか書いていたな、こっちは───」

「えっとね、そっちの黄色いやつ。」

「これか?」

啓が腕先で示した菓子パンを手に取ると、悠里は袋を破りパンを啓の口元へとやった。

小さく口を開けた啓は一口齧ると満面の笑みを彼に向ける。

「悠里くん、おいしい。」

「よかったな。もっと食え。」

中学に上がり自由になる金が増えた頃から、悠里は毎日のように啓の元へ食事を届けていた。

啓の与えられる食事の量は彼の身体に対して少なすぎるほどしかなかったし、中には一人では食べられない物や残飯のような物もある。

見かねた悠里がそうとし始めた頃は、啓が一番危ない時だったと言える。

身体がぐったりとし、呂律が回らずきちんと喋る事もままならず、その後遺症か今でもゆっくりとしか話せない。

悠里も昼間であれば堂々とチャイムを鳴らして訪問をするのだが、真夜中近い時刻ではそうも出来ず、泥棒か何かのように窓から尋ねていた。

毎日の事ながら一度も鍵がかけられていない所をみると、ある意味両親黙認の仲と言えなくもない。

「啓、啓が18になったら、一緒に暮らそうな。」

「そんなの、もう直ぐだよ。無理だよ。」

悠里は昔から頻繁にその言葉を口にした。

何もない生活の中でそれだけが啓の心の頼りであったのはつい数ヶ月前までで、その日が確実に目に見えるものとなった今、素直に頷く事等出来なくなっている。

そんな言葉は現実味を帯びず、ありえるはずなど無いのだ。

彼はまだ高校生で、実家は金持ちのようだけれど悠里自身に収入はないように思える。

それに例え仕事をしていたとしても、学校や会社もしくはその両方に通いながら、生活に介助の要る啓と暮らすのは不可能だ。

疎まれている今も、啓の生活は両親や妹なくしては成り立たない。

「あぁ、あと3日だ。だが無理じゃない。」

いっそ不機嫌なまでに声を潜めた悠里は啓の口元にパンを押し付けながら呟いた。

「嫌なのか?」

「んっ・・嫌、じゃないよ。でも・・・」

「だったら、黙って待ってろ。」

「・・・・うん。」

嫌じゃない、嫌な訳がない。

けれど、どうしても夢物語のようで信じきる事等出来ず、本当にそうとならないならそんな希望を持たせてほしくないと思うのだ。

彼との生活を夢見て、けれど実際はこれからも死ぬまで一生今の生活が続くなんて辛すぎる。

「啓、啓は好きな奴、居るか?」

「・・・・居るよ。」

「そうか。・・・・じゃぁ、また明日な。」

悠里は足元に散らばった食料を手早く袋に戻すと、入ってきた窓から出て行った。

初めて聞かれた質問。

家族以外に悠里しか接する者の居ない啓の想いが何処にあるのか、解っていて聞かれたとしか思えないその意図を、当の啓は測りかねていたのだった。



**********

明日は約束の日だ。

正確には後数分で日付が変わる。

いつもより少し遅い時間に、悠里はやってきたけれど、今日に限って何も持ってはいなかった。

「もう直ぐ18歳だな。」

「・・・・うん。」

「なんだ、嬉しくないのか?」

「・・・ううん。」

嘘だ。

本当は、これまで支えにしてきた約束が果たされないと突きつけられるその日が恐ろしくて仕方が無かった。

無言のまま、二人はただ隣同士に座り真っ暗な天井を見つめていた。

───チッチッチッ−−−ピー

悠里の腕でデジタル時計が鳴り、0時を知らせた。

「行くか、啓。」

「・・・何処に?」

「一緒に暮らすと言っただろ?俺たちの本来の世界に行くんだ」

悠里は啓の腕先を握り締めるとそのまま立ち上がったので、啓は片腕を上げただ呆然と彼を見詰めた。

彼が何を言っているのか、理解が出来ない。

俺達の世界とは、何なのか、「?」だけが頭上に浮かぶ。

「悠里くんの世界?」

「俺だけじゃない、お前の世界でもある。ここではない、違う時空だ。」

「何を、言っているの?そんなの、お話の中だけだよ。」

「俺がそんなお伽噺を語るように思えるか?」

正直、思えない。

似合わない、というのもあるが、有能すぎるほどすばらしい頭脳を持つ彼は、冗談やジョークを言わないのだ。

彼の話しはいつも本当の現実ばかりだった。

「まぁ、そうだな。いきなり言われても解らないだろう。説明するから聞けよ。」

「うん・・・」

「俺は別の世界から来た。その世界の王族の、現在の第一皇子だ。」

「皇子!?」

そんな言葉もまた、彼が真面目な口調で話すには不釣合いすぎて、どう返していいのかも判断出来ない。

「それは今はどうでも良い話だ。俺達の世界では生まれる前から伴侶が決まっている。俺のそれがお前だ。」

「え・・・?」

伴侶とは夫婦の意味で合っているだろうか。

だとすれば、ますます意味が解らない。

男同士では夫婦になれない、という啓の常識は、どうやら通じないようだ。

「だというのに、お前は間違って違う世界───この世界に生まれてしまったから、俺が追ってきたんだ。」

「そんな事って・・・」

「出来る。だが、俺だから出来たのであって、誰でも出来る事ではない。」

「悠里くん、だけ?どうして・・・」

「俺が、『全知を統べる者の継承者』だからだ」

「ぜん・・ち?」

「簡単に言えば、全ての事を知っている、というだけだ。だから何が出来る訳でもないが、それが皇帝になるという事だ。」

「こう・・てい?」

説明を聞けば聞くほど理解が追いつかないばかりだ。

ただ解るのは、彼が必死である、という事だけだったが、それはとても重要なように思える。

「だから、帰ろう。」

「・・・え?」

「世界を飛ぶのは容易ではない。常人がそれを出来るのは18歳を越えてから一度だけ。そうしないと───身体がバラバラになる」

どこか辛そうに言った悠里は啓の腕先を握り締めた。

「お前は生まれる前にそうしてしまっている。───、だからお前は手を失った。本当なら直ぐにでもつれて帰りたかったんだ。こんな生活を送らせたりなどしたくはなかった。」

啓の前にしゃがんだ悠里は、啓の額に己の額を寄せた。

視点が合わせれない距離に彼が居ると思うと、胸が痛い程に鳴った。

「啓は、俺と暮らすのが嫌ではないのだろ?けれど、伴侶となるのは嫌なのか?」

「・・・ちっ違う、よ。僕は悠里くんが、好き、だよ。でも・・・だから、もっと他にも悠里くんにふさわしい人がいっぱい居ると思うんだ。」

なんと言っても、彼は何でも出来る。

格好良いし、とても優しくて、持っていない無いものは無いのではないかと思える程に。

「他に居る訳がないだろう。言っただろ、生まれる前から決まっているんだ。」

「・・・・だからなの?決まっているから、僕なの?」

悠里の事は大好きだ。

啓に優しくしてくれたのが悠里しか居ないからそう錯覚しているのかも知れないが、理由はそれで十分だと思う。

彼が大好き。

けれど、当の悠里には義務感しかなく、気持ちがないのだとすれば───

「まさか。俺は全知を統べる者を継承する者として存在する。生まれる前の伴侶も、俺だけは自分で決められるんだ。俺は、お前を選んだ。」

「え?」

「いくら生まれる前から定められた同士だとしても、一生出会えない奴らも居るし、間違った選択をし不幸になる奴も居る。それはこの世界も同じだ。」

「悠里くんは、僕が僕だと知って選んだの?」

「あぁ。数ある魂の中で一際真っ白だった。顔も形も定まる前から、俺はお前を選んだ。まさか手をなくしてしまうなど考えもしなかったけれど、そんな事は関係がない。啓の手くらい俺が補えばいい事だ」

「でも・・・・」

「まだ何かあるのか?」

「そんな事、今まで一度も言ってくれた事がなかった」

「そりゃ掟だからな。破れば世界を飛べなくなる。」

悠里は、瞼を閉じると、一際声を落として呟いた。

それはとても辛そうで、たまらなかった。

「もう、いいだろ?啓、俺とは帰ってくれないか?」

「・・・・・・・行く。僕、行くよ。」

「本当か!?」

「うん。僕、悠里くんとなら何処へでも行くよ。」

「もう二度とここへは帰って来られないぞ?」

「・・・うん。お父さん達も、その方が嬉しいと思う。」

互いの額を離した啓は、いっそ痛々しい笑みを浮かべた。

だが、それが本心なのだ。

この家に、自分の居場所が無い事は、正しく理解している。

「解った。俺は本当に嬉しい。だから、最後に殺して行くか?」

「え!?なっ何を?」

甘いセリフを囁いていた悠里の口から発せられた、あまりにもぶっそうな言葉に、啓は思わず目を見張った。

「お前の両親をだ。この世界で殺人を犯しても俺は罪に問われない。もちろんお前の手を汚させはしない。」

「駄目、だめだよ。僕、そんな事をしてもらっても嬉しくないよ。」

「何故だ?お前を散々・・・」

「でも、産んでくれたし、生かしてくれた。それだけで、僕が悠里くんと出会えただけで良いんだ。」

「だが、それは・・・」

「二人が出会うのは決められていた事なんでしょ?でも、僕にはまだそう思えないから。いいんだ。感謝、しているんだ。」

「・・・・・お前の、そういう所が、白さの要因なんだろうな。」

わかったよ、と呟いた悠里は、片手で啓の背中を抱き立ち上がった。

悠里の肩ほどまでしか身長の無い啓をしっかりと抱きしめると、腕先を握っていた手を離しポケットから小さなコインを取り出す。

「では、行くぞ?」

「うん。」

悠里がそのコインを握り締めると、赤い光が二人を包み、その色はとても濃くなってゆく。

すぐに周囲の物が見えなくなり、啓の目には赤い空間だけが存在しているかのように思えた。

もう二度と帰って来られないと聞いても、残念だとは感じない。

だけど、この世界や生活を恨む事も出来なくて、ただサヨナラとだけ心の中で呟いた。

「愛している、啓。生まれる前から、死ぬまで一生、お前だけを愛してい───」

悠里の言葉を聴き終わる前に、啓の意識は無くなった。

そしてこの物置兼啓の部屋に小さく「る」と聞こえた後には、赤い光は一筋も残ってはおらず、そして人影も当然のように無い。

それどころか、地球上の全てから、「杉山悠里」と「中洲啓」の存在した形跡が消え失せてしまったのだった。



**********

次に啓が目覚めた時に見た物は、狭かった彼の世界とはまるで違う『世界』だ。

けれど、唯一彼の腕先を握る者は今も以前も変わってはいない。


【完】

*あとがき*
*目次*