やっぱり好きな人・編・10


 刺激的な時間を三城と過ごしたい。
 そう、事ある毎に頭の隅で何かが囁く。
 しかしいくらそう考えてはいても、具体的にどのような事であるのかなど何も考えつかなかった。
 今まで、愛する人と身体を重ねる事だけが幸せで、そこに創意工夫をしようなどと思いもしなかったからだろう。
「えっと……なんだっけ……場所と、ソフトな……」
 学校という教育の場で口にするには似つかわしくない独り言が漏れてしまう。言い終わる前に意識的に唇を閉ざすと、恭一は軽く頭を振った。
 授業中は良い。それだけに集中が出来る。しかし職員室での仕事は事務的故に、ダラダラと集中出来ずにいた。
 何も手がつかないわけではない。机の上の書類は進んでいる。けれど数分置きに、今朝考えていた事を思い出してしまう。なんとも効率が悪く、ため息しか出ない。
「はぁ、もう……」
 恭一としても、今ここでそのような事ばかりを考えていたいわけではない。学校では学校ですべき事があるのだから、きちんと仕事をして、プライベートな事柄は帰宅してから考えるべきだとも思う。
 頭ではそのように考えているというのに、実際には行動に移せていない。それはなかなかに自分で自分を苦しめた。
「ちょっと、休憩……」
 放課後の今、職員室に教員はまばらだ。殆どの教師は部活動の顧問で忙しいのだろう。
 席から立ち上がり、隅に置かれた電気ポットに向かう。共用のインスタントコーヒーを私物のマグカップに入れていると、不意に背後から肩が叩かれた。
「幸田先生」
「わっ……木村先生」
「なんだよ、そんなに驚かなくても」
「い、いえ。考え事をしていて。すみません」
「それより、俺のも淹れてくれない?」
 ニッと笑いながら、木村はマグカップを恭一へ差し出した。白地に南の海と空が描かれたそれは、木村によく似合っている。
「良いですよ。砂糖は?」
「ブラックで。ありがとう」
 慣れた手つきでインスタントの粉を入れ、湯を注ぐ。湯気を上げるマグカップを二つ手にすると、その一つを木村に渡した。
「どうぞ」
「ありがとう。そういえば、さっきから難しい顔してどうしたんだ?」
「え? そんな顔してました?」
「してた、してた。俺の席から良く見えるからさ。気になってたんだよ」
「すみません」
 もしかすると、木村はそれ故に、恭一の所に来たのかもしれない。コーヒーなどというのは建前で、本来の目的はこうして言葉を交わす事だったのではないのか。
 そう考えると、気恥ずかしさと嬉しさが同時に胸に浮かんだ。
「何か悩みか? 何でも相談してくれよ。一人で抱えるのはよくない」
「悩み……いえ、その」
 悩みと言えば悩み。間違いはない。しかし、それは人に、それも学校で同僚にすべき相談なのだろうか。
 否、すべきではない。
 しかし。昨日の会話から察するに、彼ならば何かしらのアドバイスはくれるのではないだろうか。他に頼る人もいなければ、一人で考えてもこれ以上何かが進展するとも思えない。
 少しだけ。ゲイである事、相手が三城という男である事を知られない程度に少しだけ。
 朝から一つの事に思考を奪われ過ぎた恭一は、その欲にどうしても勝てなかった。
「あの、本当に大した事ではないんですけど」
「何でも言ってみろよ」
 デスクに戻ると昨日と同じように、木村が恭一の席に椅子を寄せる。けれど昨日とは違い、恭一は声を潜めていた。
 今は部活動や委員会の生徒が職員室に出入りをしている時間であるし、怒られたばかりだ。
 そうする恭一に、木村も何かを察したように声を落としていた。
「刺激的って、具体的にどんな事ですか?」
「は? 刺激?」
「昨日、言っていたじゃないですか。その……恋人と」
「……あぁ。あれね。え? 幸田先生、そんな事で悩んでたの?」
「いえ、あの、悩んでたって程じゃ……」
 実際は酷く悩んでいた。しかしこのような相談をした事が、今更になって恥ずかしくて仕方が無くなる。
 顔を背ける恭一に、けれど木村は少しの間を置いて真面目な声を出した。
「幸田先生も彼女とのそういう事に悩んでたんだ。昨日は興味なさそうに見えたけど」
「えっと……」
「同棲して長いんだっけ? そりゃそうなるか」
「はぁ……」
「具体的にっていうか、何でも良いから普段と違う事をしたら刺激にはなると思うんだけど」
「なんでも……」
「でも、幸田先生数学だし、何でも、じゃ答えにならないんだよね」
「……すみません」
 普段は意識などしていないが、こういった場面でははっきりとした答えの方が有り難いのは事実。そういった事が「数学脳」だと時折笑われる。
「昨日も言ってたけど、コスプレとか、ちょっとしたSMチックな事が手っ取り早いんじゃない? 相手の性格にもよるけど」
「相手の、性格?」
「どっちにしても女性にする事じゃない? だから、そういうのにノってくれる子とか、嫌がる子とかさ」
「あぁ……」
 多分、大方、されるのは恭一だ。自分で、自分の為に、何かを用意して、三城に刺激を与えようとしている。
 しかしそれは、どうにも言い出せる雰囲気ではない。
 そのうえで三城の性格を考えると、何が喜ぶのだろうか。どうにも、コスチュームプレイで興奮をするとは思えなかった。ただ、あの日見た下着が。機能性が少なそうな下着を三城が所有している場面を知ってしまったから、こうして悩み始めているとも言える。
 三城は、あのような下着が好みなのかもしれない。
「色々、考えてはみたんです。それで、その……相手が、変わった下着を、持ってて……隠してたんですけど」
「セクシーランジェリーって感じの?」
「えぇ、まぁ」
 三城は今、アレを履いているのだろうか。
 そのような姿でスーツを着て仕事をしているのだろうか。そう考えると、少しだけ見てみたい。
「じゃぁそっち方面だな」
「そっち方面?」
「恥ずかしい感じのが好きなんだろ? だったら、幸田先生からも何かプレゼントしたら良いんだよ。夜につけてって」
「え? 僕が?」
「隠してたなら、幸田先生も知ってる、理解してるって言っちゃったら良いんじゃない? 下着が抵抗あるなら、手枷とか口枷とか、ちょっとした道具をさ」
「え……」
 三城に使う物を用意する、という発想はなかった。
 今まで恭一は三城に頼りっぱなしで、全てにおいて三城にリードしてもらっている。夜の営みについてもそうだ。
 それだけに、恭一が用意をして、三城が使用する。というのは、いつにない刺激であるのは間違いなかった。
 あの下着を着けた三城に、手枷や口枷を付けるというのか。そもそも三城は、恥ずかい事に性的興奮を覚えるのだろうか。
 全く想像が出来ない。
 出来はしないが、恭一が一日考えてもたどり着けなかった答えを、木村は示してくれているのかもしれないとも思えた。
「恥ずかしいのが好きとか、想像が出来ないです」
「それだけ、本人も言い出しにくいのかもよ」
「そっか……」
 完璧主事で人に弱みなど見せない人だ。
 自分の恥ずかしい姿を見られたいなどと口にはしないだろうが、内心それを抱えているのかもしれない。
 そう考えれば、ありえない話ではないように思える。
「初めは軽いノリでさ。ちょっと使ってみたいって言ってみて。引いた感じなら止めたら良いんだし」
「そんな、もんですか?」
「そんなもんだって。大体の女はそういうの好きらしいよ」
「はぁ……」
 そこに、どれだけ三城が当てはまるのだろうか。そもそも三城は女性ではない。
 解らない。けれど解らないのならば、試してみる価値はあるのかもしれない。
「ありがとうございます。試してみます」
「仲良く頑張れよ」
 今の三城は非常に疲れている。ならば、今くらいは恭一が三城をリードして一夜を過ごしてみても良いかもしれない。
 そうしてみると、彼の負担は少なく、そして新しい関係も築けるかもしれない。
 ベッドで過ごす夜を、恭一から誘ってみるのも手だ。
 木村の提案に、恭一は胸が躍った。どうしようもなく楽しい事を知ったような感覚に陥ると、それまでが嘘のように仕事がどんどんとはかどった。


  
*目次*