やっぱり好きな人・編・15



 自分の心の内だけで消化してしまえば良かった。しかし、そのような事を考えてももう後の祭りだ。
 たった一言の「てっきり」という言葉だけで、三城に追い詰められた恭一は居心地が悪く視線を彷徨わせた。
「で? 何だと思っていたんだ?」
「えっと……後でじゃ、駄目?」
「このようなままじゃ、旨い食事も出来ない。言え」
「そう、だよね……」
 断言してしまう三城に反論など出来る筈が無い。出来るのならば、そもそも違った関係性を築いていただろう。
 前菜が運ばれ、個室のそこに再び静寂が訪れる。有るのはただ、有無を言わせない三城の鋭い眼差し。
 確かに恭一にしても、このまま食事を続ける事を望む訳では無い。
 口に運んだフォークを皿の上で休め、恭一は三城を見もしないまま意を決して口を開いた。
「別に、大した事じゃないんだけど」
「それは俺が決める。言え」
「えっと……今夜ホテルに宿泊するのって、その……雰囲気を変える為かなって思ったから」
 しどろもどろな言葉は、どうにも要領を掴まない。睨み付けるような三城を前に、ストレートではっきりとした言葉を継げるだけの勇気が今の恭一にはない。
 しかし、だからこそ三城が余計に苛立つ事も、経験上知っている。
「雰囲気を変える? 何の為に?」
 先程よりも鋭い声音に身が竦む。別段悪い事をしているつもりはないというのに、威圧的な彼に萎縮するばかりだ。
 けれど、二人の関係は上司と部下ではない。至って対等な筈の恋人関係。
 ならば。
 そろそろと三城を眺めながらも、恭一は一つ大きく呼吸をして腹を括った。
「マンネリ解消の為。春海さんが、普通に家でするの、飽きたのかと思って」
「……、……なんだそれは」
「だって! えっと……なんか、変わった下着も持ってたし、この間は兜合わせだけだったし……」
「恭一が何を言ってるのか、何が言いたいのがよく解らないが……先日の件は、時間が無かったからだ」
「でも、いつもだったらそれでも……」
 だからこそ、不安になったのだ。
 寝室では無くリビングルームのソファーで。日常とは違う何かを、三城は求めているのではないだろうかと。
 その張り巡らせた心情の説明をする前に、三城はさも呆れたとばかりに大きなため息を吐いた。
「あの時は普段より疲れていて、このまま寝室になだれ込めば時間を忘れてしまいそうだったからだ」
「……え、そうなの? ……僕に、飽きたとか」
「有るわけがないだろう。何を言い出すかと思えば」
「……ごめん」
「それから、下着だったか」
「あ、うん」
「それは、あれだろ。ウォークインクローゼットのチェストに置いていた、黒い革の」
「そ、そう」
「あれは、取引先の社長に渡された物だ。うちよりも小規模の企業だが老舗で、年齢も俺より随分と上だからな。下ネタの一つに付き合っただけだが、先方の趣味で、まぁ、ジョークの流れで押しつけられただけだ」
「そう、なの?」
「そうでもなければ、あんな物を持っている筈もない。なんだ、恭一はあれを俺が履いているとでも思ってたのか?」
「あ……うん」
 どんどんと、顔が下がる。ついには膝の上で握る自分の拳を眺めるしか出来なくなった。
 全ては、自分一人の勘違い。
 仕事で忙しい三城に失礼な、勘違い。
 恥ずかしい。
 今更どのような顔をして良いのか解らず、言葉も出て来なかった。
 申し訳なさと、恥ずかしさと。謝る事も、笑い飛ばす事も出来はしない。
「で? 恭一は、俺がマンネリを感じて妙な下着を着け、自宅では無い場所で一夜を過ごす為に此処に連れて来た、そう思っていたという事だな」
「……ごめんなさい」
「全くだ」
 多忙で、心身共に疲れながらも働いていた三城。一緒に食事を出来ないまでに忙しかったところを、ようやく作れた時間にまず食事に誘ってくれた三城。
 今思えば、なんとも恩を仇で返すような想像をしていたのだろう。
 三城のため息が重い。
 けれど、淀んだ空気をかき消すかのように発せられた彼の声音は、恭一を責めるようなものではなかった。
「だが、しかし。恭一にそこまで考えさせる程、一人にさせていた俺が悪いとも言える」
「でも、それは。……春海さんは仕事だったんだし」
「仕事が恭一を顧みない(かえりみない)理由にはならない」
「そんな……」
「確かに今後俺は今以上に忙しくなる場面も出てくるだろう。だというのに、今からこのような事では、恭一に心変わりされても仕方が無い」
「そんな事ないよ」
「俺も、安心して仕事がしたいんだ。帰宅すれば恭一が居る、という安心だ」
「春海さん……」
 散々に、考えていた。
 三城はもう自分に飽きたのではないだろうかと。
 仕事が忙しい彼を、癒やす事など出来ないのではないのかと。
 無力な自分に悔しさを感じたからこそ、有らぬ方向に考えが及んでいたのかもしれない。
 見つめた先に居る三城は、どこか穏やかに笑みを浮かべている気がした。
「俺は恭一に飽きたりなどしないし、恭一を飽きさせるつもりもない。だが、ゆっくりと過ごせる時間が少なくなるのなら、限られた時間を濃厚にするべきなのだろうな」
「それは、どういう……」
「あの下着は、まだバッグに入ったままだ。先方に感想を求められた時に適当な事を言えないから、誰かに使用させ感想を聞こうかと思っていた。なら、恭一が履けば良い」
「え、僕?」
「あんな物を渡せば、いくら男性社員でも、セクハラだのパワハラだの言われかねないだろ。だが自分で履くつもりなど毛頭ない」
「で、でも……」
「俺に、有らぬ疑いを持った罰だ」
 ニヤリと、三城は笑う。
 そのような言い方をされれば、恭一が拒絶出来るバズがない事を彼はよく知っている。
「あ、あれは、春海さんが履くのだと思ってて……春海さんが、新しい刺激を求めてるんじゃないかと思って……」
「そうだな、新しい刺激は嫌いじゃ無い。だが、俺にとってのそれは、恭一の珍しい格好を見る事だ」
「そんな……」
「履くだろ?」
 新しい刺激を求めたかった。
 三城と、いつまでも新鮮な気持ちで一緒に居たかった。
 日常的な生活に慣れるばかりに、感謝がない日々にしたくはなかった。
 それは、今も変わらない。
 だというのなら、恭一の答えは既に決まっている。
 羞恥心から赤くなる顔で、小さく頷く。
 罰だと三城が言うのなら、確かにそうなのかもしれない。回り回って自分の元にやってきた、三城を疑った罰。
 そうしていると、個室の扉がノックされ、料理が運ばれたのだった。

  
*目次*