嫁で息子で・編・05



今晩の宿となる左へ二つ行った部屋は、皆で集まっていた部屋と同じ造りであった。

入って右手に水周り、正面に和室、その隣に寝室としてもう一室。

扉の位置からも想像すると、兄二人が使うという部屋と三城らの部屋は水周りが突き合う形となるので、寝室での物音が聞かれる事はないだろう。

そんな些細な事に大きな安堵を得つつ、三城は部屋の奥に荷物を置くと座卓の前にドンと座った。

「疲れたな」

温泉へ向かう素振りも見せず、旅館に来てから何本目かという煙草を取り出す。

自宅に居る時ならば、夜に帰宅してから翌朝出社するまでに一本か二本しか吸わない時もある事からも、その本数の多さは伺える。
 
とはいえ、三城自身にしてみれば今のこれは手持ち無沙汰からではなく、ようやく身を落ち着けられた一服で別物だ。

「どうした、恭一も休め」

初めから今のように恭一と二人きりの旅行であれば良かったのに。

何度考えてもまた考えずにいられない事を思いながら、部屋と板の間を繋ぐ襖の前で立ったきり動こうとしない恭一を見上げた。

「・・・。どうした、恭一」

しかし、何気なくふと見上げた先に居た恭一は、見慣れないまでに不機嫌そうな面持ちを浮かべていたのである。

つい先ほどまで、親・兄弟と話していた時はそれは楽しそうにしていたというのに。

その代わり映えに、思わず三城の眉がピクリと動いた。

恭一は嘘が得意とは言えず、そしてそれを見抜けない自分でもない。

つまるところ、今しがたまでの笑顔も、そして今の不機嫌を露にした面持ちも、どちらも本心であると言うことだ。

両親らと居る時が楽しげで、二人きりになった途端コレだというのは三城の癇に障る他にない。

「なんだ?何をそんなにも拗ねている」

「拗ねっ・・・子供じゃないんだからそんな言い方しないでよ」

「他に言いようがないだろ。何が不満なんだ?こっちに来い」

「・・・。不満そうなのは春海さんの方じゃないか」

『来い』と言ったにも関わらず動こうともしない恭一に、三城は眉間の皺を深めた。

ようやく二人きりになれたと思っていたというのに。

その途端何だというのだ。

己の不機嫌さもそれが態度として現れていた事も自覚はある。

だがそれは皆と一緒の時の話しであり、二人きりとなった今は関係のない事だ───そう、思っていたというのに。

「なんでそんなに機嫌悪いの?お義母さんに失礼だよ」

目の前に居る自分よりも、この乗り気のしない旅行を計画した母を気にするというのか。

子供じみた嫉妬心が、けれど自分では止められないまま膨らんでゆく。

恭一が絡むと三城の普段の冷静な判断力が失われるのは出会った頃から変わらない。

「言わなければ判らないのか?」

「判らないよ。春海さんの考えてる事が判る時の方が少ないって知ってるくせに」

「それはただ考えようとしていないだけだ。思考を自分で放棄しているに過ぎない」

「っ・・・。春海さんはいっつもそうだよ、自分はなんでも出来るからって、出来ない人の事を考えてないのは春海さんの方じゃないか」

「なんだと?」

いつもの恭一ならば、食って掛かって来る事など殆どないというのに。

睨み付ける恭一に鋭い眼光を返し、三城は苛立ったように煙草を灰皿へもみ消した。

もはや煙草を吸う気分でもない。

「母さんの気持ちは考慮出来るんだ、恭一も考えれば出来るという事だろ?」

「今はお義母さんは関係ないだろ。どうして春海さんの機嫌が悪いのかを───」

まだ判らないというのか。

天然だ鈍感だと評価はしていたが、ここまでとは思いもしなかった。

「俺が何故機嫌が悪いのかなど、判らなければ判らないままで良い」

「良くないよ。だって、せっかく皆で温泉来てるんだよ?楽しくしようよ」

「楽しくしたければ恭一はすれば良いだろ。俺に構うな」

「春海さん、そんな言い方って・・・」

「俺は来たくて来た訳ではない。ただ恭一が───」

楽しみにしていたから同行しただけだ、という言葉は、残念ながら三城の口から発せられる事はなかった。

つい今まで強い言葉と眼差しを向けていた恭一が。

呆然と表情を緩めている姿を目にしてようやく、言い過ぎてしまった事に気がついた。

だが気がついた時には既に遅い。

襖の前から後ろへと一歩下がった恭一は、顔を背けて弱弱しく呟いた。

「・・・・、ごめん」

「・・・」

「僕が勝手にお義母さんと約束しちゃったから、春海さんも来る事になったんだよね」

「・・・きょうっ」

「そうだよね。春海さんは皆で旅行とか好きじゃないよね。それなのに参加しなきゃならなくなって、ごめんね」

もしもこれが駆け引きならば、良い作戦だ。

だが恭一がそのような器用な真似が出来る筈がないというのは三城が誰よりも知っている。

こちらを見ようともしない恭一の、彷徨った視線を知った途端、三城は弾かれたように立ち上がっていた。

「恭一!」

短い距離を大またで詰め寄る。

名を呼ばれて驚いた恭一が顔を上げたのと、三城がその肩に触れたのはほぼ同時であった。

「ぁ・・・・」

恭一が小さな驚きの声を上げた、その時には、三城は恭一を腕の中に収めていた。

「すまなかった、少々言い過ぎた」

「・・・春海さん?」

初めから、こうしていれば、抱きしめていれば良かったのだと、今なら思える。

つまらない嫉妬心で拗ねていたのは誰あろう己自身だ。

不機嫌の理由はただ、特別な日に外野が大勢居るからで。

玩具を取られた子供とまるきり同じ行動しか取れなかったと思えば、バツの悪さが一気に押し寄せた。

「悪かったな。もう、そんな顔をしないでくれ」

「そんな、って?」

「悲しそうな、寂しそうな顔だ。そんな顔をされては、どうして良いかわからなくなる」

「春海さん・・・そんな」

人の気持ちが読めないのは、三城とて同じだ。

ビジネスや駒のように動かす人間ならば何とでもなる。

だが、突発的な恋人の心情の変化や求める言葉など、本当に理解をしようと思うならとても難しい。

そして特に難解なのは、愛しくてならない恭一を繋ぎとめ続ける方法だろう。

「機嫌を直してくれ。恭一」

「・・・そんな、うん。もう、大丈夫。僕の方こそごめんね。喧嘩をしたかった訳じゃないんだ」

「わかっている、俺もだ」

「温泉、行こっか」

仕切りなおしとばかりに恭一が微笑む。

見たかったのはこの顔だ。

つられて表情を和らげた三城は、無意識のうちに恭一を逃がさないとばかりに腰へ回していた腕へ力を込めていた。

「あぁ、そうだな。早くしないとせっかく時間をずらしてくれたというのに、兄さん達と鉢合わせてしまう」

「僕は構わないけど」

「それだけは駄目だ」

せっかく身も心も穏やかになっていたというのに。

キッと眼差しを鋭くすると三城は否定の声を上げた。

譲れるものは譲ろう。

だが、兄らに恭一の全てを見せるなど、それだけは絶対に駄目だ。

頑なな三城に、その理由ばかりはまだわからない様子の恭一は不思議そうにしながらも今度は頷いて見せたのだった。


  
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