三城×幸田・新春湯煙殺人事件・編・11



此処で君を見た瞬間から、僕は少しおかしくなってたのかも知れない。

テリトリーを荒らされたとでも思ったのかも知れない。

自分の事なのに、何処か他人事にしか思えなくて、「知れない」と想像するのが精一杯だ。

耳鳴りが酷くて、雨音のようだ。

そういえば僕たちが初めて会ったあの日も、確か大雨だったね。

そんな事、むしろ君の方が覚えていないかも「知れない」な。



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カタリと小さな音を立て、めったに人が訪れる事のない特別室の襖が開いた。

そこにはすでに一人の男が居り、新しい入室者を迎え入れる。

部屋には明かりが灯っていない。

それというのも、この部屋は今ここに居る二人のどちらの部屋でもないからだ。

「あ、──来たか。」

「待った?」

「俺も今来た所だ」

中に居た男は、冷たそうな面持ちにうっすらと笑みを浮かべた。

だが、瞳は燃えるように熱く輝いている。

もっとも、真っ暗な部屋の中では彼に気づかれる事はないのだが。

「そう、それはよかった」

彼は感じの良い微笑を浮かべて一歩また一歩と室内へ歩む。

こちらはきっちりと洋服を着ていた。

「それにしても驚いたよ、こんな所で会うなんて。すごい偶然だね」

「、、、俺は偶然なんかじゃない。」

「え?」

「調べたんだ」

とは言ったものの、彼はそんな気がしていた。

こんな「偶然」を出来すぎていると思わない方がおかしいのだ。

彼の顔からスッと笑みが消えた。

だがそれもまた、暗い室内では相手に知れるはずもない。

「あんなのと別れて俺と来てくれないか?」

男の声は抑えるように低く、切羽詰まったようにも感じられた。

「、、、それは出来ないよ」

「何故?」

「今の生活を守りたいんだ」

彼は俯くと首を左右に振った。

そう、今まで頑張ってきて、やっと手に入れた平穏な日々なんだ。

だが、怒気を含んだ男の言葉は無情なものだった。

「、、、、バラすぞ」

「え?」

「お前が必死に隠していた、ゲイだって事を、ばらしてやる。」

「まっ待て、やめろ」

彼の面持ちが、一瞬にして青くなる。

「だったら俺と来るか?」

男は彼を追い詰めるように歩みよる。

彼もまた、後ずさり壁に背をついた。

「やめろ、やめろ」

「愛しているんだ。お前を誰にも渡したくなんてない」

男の神経質そうな細い指先が、彼の首筋に触れた。

間近で見詰め合うと、ようやくお互いの顔が確認できる。

男の瞳は、瞳孔が開ききっているような気がした。

恐ろしい。

何が一番「恐ろしい」のかも解らないが、彼の頭の中はそれで一杯になった。

だらりと下げられた彼の指先に、ヒヤリと冷たい何かが触れる。

花瓶だ。

「やめろ、僕にかまうな」

恐怖に駆られたような叫び声を上げると、彼は花瓶を持ち上げて男の頭上に振り下ろしていた。

ガツッ・・・・

嫌な鈍い音がし、男はその場に倒れた。

死んだか?

いや、解らない。

彼は、何度も何度も殴った。

周囲に立ち込める、流血の嫌な臭いも何もかも、彼にはもう解っていないのかも「知れない」。



 
*目次*