三城×幸田・新春湯煙殺人事件・編・29



「もうすぐ旅館も大騒ぎになるだろう」

と、室町が言うので、三城と幸田は旅館を後にする事にした。

三城は幸田を気遣い、休んでから帰る事を提案したが、幸田は首を横に振った。

どうしても予備校が気になって仕方がなく、早く出勤する為に帰りたかったのだ。

気ばかり焦ってもしかたが無いと思うのだが、じっとしていたくはない。

仕事に戻った室町と別れ、二人は部屋に戻ると僅かな荷物を手早く纏める。

二人分の荷物が入ったバックを三城が担ぎ、ロビーに向かった。

フロントには誰も居なく、三城は「別にかまわない」と玄関を出て行こうとする。

会計は済ませてある為なのだが、幸田はやはり黙って帰る事に躊躇し、フロント奥に向かい声を張り上げた。

「すみません、帰りますねー」

事件でバタバタしているだろうから一言を残すだけで帰るつもりだったのだが、幸田の声を聞きつけた女将・翔子が慌てて出て来た。

そして、膝を付くと二人に深々と頭を下げた。

「せっかくおいでくださいましたのに、このような事になり、大変申し訳ございません。」

今の翔子は、昨日と打って変わって疲れがありありと出ており、匂い立つ色気も消え、どこか年を取ったようにも思える。

「いえ、そんな」

何と言えない幸田は口ごもる。

「顔をあげてください。確かに事件は大変でしたけど、、、温泉は凄く良かったし、料理も美味しかったです。」

慰めるためだけではなく、それが幸田の本心だ。

事件が起こるまでは、確かに楽しかった。

温泉で三城とじゃれた事を思い出した幸田は言いながら自然と笑みが浮び、それを目にした翔子もつられるように微笑む。

やはり、翔子は微笑むと極上の美女だ。

「いくぞ」

三城はぶっきらぼうに言うと、幸田を置いてさっさと旅館を出て行った。

置いていかれるのはいつもの事ではあるが、幸田は慌てて翔子に一礼し、三城の後を追う。

幸田が気づいたかは定かではないが、三城は最後まで翔子を見なかった。

見れなかったのだろう。

三城の推理が間違っていなければ、彼女の旦那はすぐに逮捕される。

そう思うと視線一つ送る事が出来なかった。

彼女はどう思うのだろう。

旦那が不倫をしており、その相手が男で、挙句殺人まで犯してしまった事に。

不毛な思考は、幸田の声に掻き消された。

「あ、待ってください」

無言で車に向かう三城を、幸田は足早に追う。

幸田が追いつくと三城は車に乗り込もうとしたが、幸田が旅館を振り返っている事に気が付き、それに習った。

決して「楽しかった」という感想を抱ける旅行ではない。

だが、二人の初めての旅行で、初めての旅館なのだ。

「三城さん、また、来たいです」

旅館の門扉を見つめたまま、幸田は小さく呟く。

三城はフワリと笑い「あぁ」と言ったが、その笑みを幸田が見る事はなかった。



 
*目次*